2014年3月24日月曜日

Pacific : 鈴木茂 山下達郎 細野晴臣

大瀧詠一氏が逝ってから過去のナイアガラ作品を聴き漁っているだけじゃなく、70年代の山下達郎や細野晴臣作品まで聴き漁ってます。その中で見つけた珍しい作品が、このアルバムに入っている「コズミック・サーフィン」。このアルバムは鈴木茂/山下達郎/細野晴臣の3人が作った、70年代の香りが漂うフージョン志向のリゾートアルバム。その中でも一際異彩を放っているのが細野晴臣名義の「コズミック・サーフィン」です。

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「コズミック・サーフィン」は言うまでもなくYMOの初期名曲で、ファーストアルバムの「Yellow Magic Orchestra」に収録されており、「パブリック・プレッシャー」でもライヴ演奏されている。YMOチルドレンの電気グルーヴがアルバム「UFO」やシングル「MUD EBIS」でもカバーを披露しています。それらのオリジナルとなるのが、このアルバムに収録されているトラックなのです。

70年代の細野晴臣と言えば、細野晴臣&イエロー・マジック・バンド名義で「はらいそ」を作っていることから、この頃からYMOの構想はあったと思われる。ただし「はらいそ」はトロピカル最終作と言われることから、YMOに見られるようなシンセサイザーの使い方はしていない。一番の転換点となったのが、横尾忠則とのインド旅行であり、帰国後に作った細野晴臣史上で最凶のサイケデリックアルバムと言える「コチンの月」だろう。旅行から戻って松武秀樹氏と邂逅し、それまでのチャンキーミュージックから電子音楽へと180度転換してしまう。坂本龍一をして「細野さんは何を作ろうとしているのか分からない」と言わしめるほどシンセを使い倒して作ったのが「コチンの月」であり、同時期に作られたのが「コズミック・サーフィン」なのだ。

このオリジナル版「コズミック・サーフィン」はYMO版とは異なって完成度は低い。しかしジョルジオ・モロダー並みのシーケンサーを使っており、明らかにYMOの原型といえるばかりか、電気グルーヴのカバー(「MUD EBIS」に収録されている Live at Automatic theatre L.A. の方ね)にも大きな影響を与えているのは確か。この頃の作品を聴き直すと、こういったコンテクストを再発見することが出来て非常に興味深い。「コチンの月」については非常に劇薬なアルバムなので、折を見て書きたいと思います。

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